2人の男の子の子育てに葛藤し、
誰にも相談できず走り続けた
専業主婦の15年間を経て、39歳で社会復帰。
両親の介護と看取りの経験から
「本音の自分で生きること」の大切なことを学び
習慣化して実証できた今。
ANAのCAとして40,000人以上の接客、
国際線ターミナルコンシェルジュとして
培ってきた審美眼と感じる心を生かし
どんな環境・状況でも
《心豊かに自分を生きる秘訣》を特別公開!
アートディレクター / デザイナー / アーティスト
尾形 朋美さん
自分に厳しく、ずっと頑張り続けてきました。本業と並行で別のチャレンジをしている時、心が折れない自分になりたくて参加を決めました。恋愛だけに自分の心の安定・不安定を委ねてしまう時がある自分がいて…そんな自分ではなく自分で自分のご機嫌をとれるようになりたかったのです…
安全な場所と仲間のいる環境で学べたことで、家族にも相談できないことを相談できる安心感がありました。これからの人生への不安がなくなり前向きな自分に変われました!自分を味方にしてあげる習慣の習得により、1日を気持ちよく終われるようになりました。その結果、色々考えすぎることなく良く眠れるようになったのです。卒業後も自分のステージ変化のタイミングでまたプログラムを実践し、現在も半年くらい継続できています!
やまと式かずたま術®︎ 公認鑑定士・講師
秋津 眞未さん
目の前のことに追われて1日が終わってしまい、自分の内側のことは後回しに。内観が大事と知ってはいるけど、自分でそんな時間を自己管理で取るのは難しいし、一人では無理だと思っていた…
時間が来れば何となく口にしている食事でしたが「本当に今食べたい?」と自分の体と相談するようになり、5kgほど自然に体重が落ちました!また、自分に合う発酵食品を日常に取り入れたことでお通じも良くなり健康になりました。流行りに流されることなく自分に似合うものや欲しいものも意識して選ぶことができるように変わり、周りからも美しくなったと言ってもらえるようになったのも嬉しいです!
専業主婦
山川 育子さん
好きな事をし、人脈にも恵まれ楽しく過ごしてきたのですが、コミュニケーションに違和感を覚え始め対人ストレスも感じるようになると、急性胃腸炎など身体がその違和感を不調で知らせるようになっていた…
プログラムに取り組むことで、自分の内面と向き合う時間が持て、また靖子さんの寄り添いにより、心の落ち着きを取り戻していきました。自分を責めたり、くよくよしたりの自己否定感から、自己肯定へと気持ちを切り替えることが自分で出来るようになって、生きることが楽になりました!途中、海外に住むことになったのですが、プログラムを続けたことで、初めての環境でも明るく前向きに過ごせ、人との距離感も心地よく持てるようになりました。
発酵料理研究家
永井 彩さん
不安症で精神が繊細なことが悩みでした。靖子さんから目に見える部分だけではない、生き方の美しさを感じていたので体感してみたいと思っていたのですが…
少しずつ自分の不安が消え自信を感じられるようになり、新しいことにチャレンジできるようになりました。初めてオンラインサロンには80名以上の方にご参加いただきました!仕事の幅が広がっただけではなく、物事の捉え方が変わったことで、大切にしている家族との関係がとても穏やかで良好になりました。結婚20年経った今が一番楽しく心が安らぐ場になっています!
誰かの「ものさし」にとらわれず
自由に心豊かに歳を重ねていく
改めまして、ライフブライトコンシェルジュ宇野靖子と申します。
その人、本来の魅力を引き出し、その魅力が最大限に伝わる場のコーディネート、女性が内側から美しくなるエッセンスをお伝えしています。
CA&国際線ターミナルのコンシェルジュとして、過去8年間で、のべ40,000人以上のお客様に関わらせていただきました。お客様が安心して過ごせる機内の雰囲気作り、場作りを行い、あらゆる事柄を把握し、飛行機や空港をご利用下さるすべてのお客様に、ご満足いただける様、携わってきました。
・・・こんな風に書くと、順風満帆な人生を送ってきたように見えると思いますが、決してそうではありませんでした。
ひとりっ子で育った私は、たっぷりの愛情を受けていたのは事実ですが、孤独でした。幼い頃から人に気を使って、何かを察しながら生きてきた私は、小学校1年生になった時、突然学校に行けなくなったのです。
その原因は、長年、先生との相性だったと思っていましたが、実は「学校行っている間にお母さんいなくなっちゃうかも」という大きな不安が要因でした。
そんな不安を察してか、私との時間を大切に過ごしてくれた母。学校も少しずつお友達ができて、「安心」が得られた時、学校に行けるようになったのです。
学校でも、親戚からも、「いい子」だと思われていた私。幼い頃の夢だったCAになることも叶いました。結婚して、二人の子どもにも恵まれて世間的には幸せいっぱいに見えたかもしれません。
でも、ずっと心は満たされていなかったのです。
CAという枠の中からはみ出ないように、家を一歩出たら“CA宇野靖子”となっていました。妻になれば、〇〇さんの奥様、子供ができれば〇〇くんのお母さん。そんな風に生きていくのが当たり前だと思っていた私。
いつも「誰か」になって、周りに気を使ってきて「本当の自分」がわからなくなっていったのです。
51年間生きてくる中で、自信がなくなり、大きな不安と孤独を感じてきたことがたくさんあります。自分自身の不登校・子供たちからのSOS・母の自宅緩和ケアでの看取り・パートナーシップ・仕事での葛藤など。
その中でも、私を変えてくれたキッカケは、子どもの存在でした。
二人の息子の母親である私は、次男の反抗期も長男と同じように進むと勝手に思っていたのですが、それは私のエゴでした。次第に学校から足が遠のく次男を見て、どうしようかと思い悩む日々の始まり。
それと同時に、どう思われるのだろうか…ママ友や親戚などに…なんと言われるだろうか…そんなことばかりを思ってしまっていたのです。何よりそのことが一番の自己葛藤でした。
一人で抱えて、誰にも相談できなかったのです。そんなことを思っていけばいくほど、本人の状態は良くなることもなく…
ある日、次男から「違う道に進みたい」と伝えられた時、ハッとしたのです。“兄と同じ、皆と同じ”それが良いと勝手に思っていたのは私。でも、同じお腹から生まれて同じものを食べて育っても、同じではない。彼が覚悟したのに、私は何をやっているのだろうか?と恥ずかしくなったのを覚えています。
それから、一人の人(個)としてどのように寄り添うのがベストかと少しずつ考えられるようになったのです。
そして、学校の先生から、「このまま通えば、大学まで行けて楽なのに、わざわざ大変な道を選ぶのですね!」と上から目線で言われた時、覚悟ができたように思います。
応援できるのは家族。大変な道かもしれないけれど、彼が輝けるように全力で応援しよう!と。
「誰に何を言われても関係ない、彼の人生を理解し寄り添う」と、私が決めてから彼は変化していきました。人として何を大切にしていくことが、大事なのかを気付かされ、よく頑張ったと自分を褒められるようになった今があります。
人生は時に、辛いこともあるかもしれません。でも、それは価値観を変え、感性を磨くチャンスの時なのです。
誰かの「ものさし」にとらわれず
自由に心豊かに歳を重ねていく
そして、人生の中で、誰もが経験するのが「大切な人の死」
その死は突然目の前にやってきました。まだまだずっと先だと思ってきた最愛の母の死に向かう道が、突然です。通常の区の検診から発覚した母の膵臓がん。余命3ヶ月の末期がんでした。
目の前が真っ暗になり、何をしていても涙が溢れる日々。しかしながら、現実に向き合う母と対話していく中で、私ではなく、一人の女性として、一人の人としての母の生き方を支える覚悟をしていきました。それが最後の親孝行だと。
抗がん剤などの説明を真摯に説明してくださる医師の皆さんも母との対話にも助けられました。そして、選んだ道は、抗がん剤はせず、自宅での緩和ケアです。母からの要望は、【友人たちに伝えないでほしい・会わない。みんなの中で元気な時の姿でいたい】私の中では、複雑な部分もありましたが、母の美徳、生き方・在り方を尊重していきました。
日々過ごしていく中では、穏やかなことのほうが少なく、葛藤の連続。外出はもちろんできず、人にも会わない、1日10歩ぐらいしか歩かない日々。
毎日が母と私の1対1の時間がほとんど。悔しかったり、悲しかったり、いろいろな感情が入り混じり、母の食べれるお粥を作りながら毎日毎日一人台所で泣いていました。お粥を食べられる事もだんだんなくなる現実…日に日に向き合うことが増えていきました。
“向き合い、受け止め、受け入れ、大切にする”がたくさん・たくさん目の前にやってくるのです。そんな時、私を支えてくれていたのは、これまでの経験と体感で学んできた“自分を大切にすること”
自分を大切にする習慣は、少しでも自分の時間を作り愛でること、一日の終りには自分を褒め労う。そして、感謝する。その継続です。
この継続は、私を支えニュートラルにしてくれると共に、母を穏やかに、そして、家族を安心させるものとなったのです。これまでの学習・経験・実践・継続してきたことが、自分のものになっている。そう実感できた日々でした。
抗がん剤を使用すれば余命3ヶ月だった母は、抗がん剤を使用せず自宅療養で4ヶ月を過ごし、桜満開の日に穏やかに天国へ旅立ちました。
美しい生き方・在り方を見せてくれて、学ばせてくれた4ヶ月の経験と葛藤は、私の宝となり、この動画プログラムをお伝えするきっかけにもなっています。
様々な経験の中で実践してきた「自分を大切にする」こと。この実践の継続によって、気づくと私自身がこのように変化していったのです。
この51年の間に私だけにしかできない葛藤や試練により経験で得たこと。そして73歳の恩師から10年以上学習してきたことが調和し、自分らしく豊かに生きるためのメソッドを確立しました。
自分だけの経験だと、どうしても視野が狭くなりがちで成長スピードも遅くなってしまいます。ですが、人生の先輩から学ぶことで、より深く人としての成長につながることが出来たのだと実感しています。
この「経験」と「学習」から、自分が持っている価値に気づき、心地よく自然体で生きていくためのメソッドを凝縮したのが今回お届けする動画プログラムです。
「自分が素直に心地良くいることで、関わる人も安心して喜んでくれる」そんな自分になる人が増えて欲しい。そして、これからの未来を自由に心豊かにデザインしていってほしいと思い、今回動画プログラムを公開することにしました。
3ステップ動画プログラムの内容
子育て・介護の葛藤と40,000人以上の接客経験から培った
「本音の自分で生きる」センスの磨き方を特別公開!
どんな環境・状況でも、誰かの「ものさし」にとらわれず
自由に心豊かに生きていくための方法とは?
誰かの「ものさし」にとらわれず自由に心豊かに歳を重ねていく人生へと進んでいくには、まず何を大切にしなければいけないのでしょうか
軸・土台を整えることが不可欠です!軸・土台を整えるベストタイミングと、その方法をお伝えします。自分を生きる第一歩を踏み出しましょう!
皆さんが日頃、苦手としているポイントをスムーズに取り入れられるようにお届けします。
皆さんの日常に落とし込め、すぐに!実践できる具体的な内容をお届けします
誰かの「ものさし」にとらわれず
自由に心豊かに歳を重ねていく
尾形 ともみさん
自分に厳しく、頑張ってばかり。自分のことを認めることができず、人にあたってしまうこともあった私。
自分で自分のご機嫌を取れるようになり、日々穏やかに暮らせるようになった秘訣
山川 育子さん
30年以上専業主婦で、〇〇のように在らねば!と頑張っていた私。
感性が豊かになり、初めての海外暮らしや日常で起こるアクシデントにスムーズに対応できるようになった変化とは。
秋津 眞未さん
20代30代は、会社員として、誰かに認められるために頑張っていた私。
自分が大切にしたい価値観や感性を知り、豊かさを手に入れたストーリー。
永井 彩さん
自分の解釈のなかで、子どもたちと接してきた私。
ゆったり先を見ながら、広い視野を持って、母親として子供と接することでの変化とは。
1971年1月8日東京生まれ。
小学校からの夢であった全日空ANAに入社し、CAとして勤務。結婚後、2人の男の子に恵まれ、子育てに専念。転勤族で地方暮らしを転々としながら、15年間の専業主婦を経験した。
39歳で、羽田空港・国際線ターミナルのコンシェルジュとして仕事に復帰。お客様が安心して過ごせる雰囲気、場づくりにこだわり、のべ40,000人以上ものお客様に関わる。
24時間体制の中で、仕事と家庭の両立を試みるも、自分も家族も疲れ果てていることに気づく。昇格目前に、自分らしい生き方を模索し、学び始めることに集中するため退社。
その決断により、自分らしいライフスタイルに変化していくことを体感していった。多くの学びと経験を生かし、女性の役に立てる自分にしかできない仕事をしたい!と起業。
現在、東京都内に”Essence Lounge”サロンを主宰。「自分を愛し、大切にすること」をベースとした、人生を豊かにするエッセンスをお届けするほか、心地よい場づくりのプロフェッショナルとして様々なイベント開催などを行っている。
また、2020年女性のためのポータルサイト”JEWEL”をオープン。情報が溢れる中、本質な情報をお届けする場として、コラムでの発信やリアルイベントを行っている。
人の心に寄り添うことが強み。多くの女性の心強い存在となり貢献している。
誰かの「ものさし」にとらわれず
自由に心豊かに歳を重ねていく